「今日も学校に行けなかった…」
朝、子どもの部屋のドアの前で立ち尽くす。声をかけるべきか、そっとしておくべきか。何が正解なのかわからない。そんな毎日を過ごしているお母さん、お父さんは決して少なくありません。
私は20年近く広域通信制高校で不登校や様々な特性を持つ生徒たちと関わってきました。その中で出会った保護者の方々の多くが、「学校に行かせなければならない」という社会的プレッシャーに苦しんでいました。
「普通」の呪縛
「うちの子、学校に行ってないんです…」
保護者の方がこの言葉を口にするとき、その声には罪悪感や自責の念が染み込んでいることがほとんどです。まるで自分が親として失格であるかのように。
なぜ、私たちはそこまで「学校に行くのが当たり前」という考えに縛られてしまうのでしょうか。

それは、私たち自身が「学校に行くことが普通」という価値観の中で育ってきたからです。また、周囲の親戚や知人からの「どうして学校に行かないの?」という何気ない一言が、追い打ちをかけるように心を傷つけます。
小学4年生のお子さんを持つAさんはこう語ります。

最初は『絶対に学校に行かせなきゃ』と思っていました。毎朝、泣きながら起こし、嫌がる子どもを無理やり学校に連れて行こうとしていました。でも、子どもの表情がどんどん生気を失っていくのを見て…このままでいいのだろうかと考え始めたんです
子どもの声に耳を傾ける勇気
多くの場合、子どもたちは「学校に行きたくない」と口にする前に、様々なサインを出しています。
こうしたサインに気づいたとき、私たち親はどう反応すべきでしょうか。

「頑張って行きなさい」と背中を押すべきなのか。
それとも、「今日は休んでもいいよ」と受け入れるべきなのか。
正解はありません。
しかし、一つだけ言えることは、子どもの声に真摯に耳を傾けることの大切さです。
中学2年生の息子さんが不登校になったBさんは、こう振り返ります。

最初は『なぜうちの子が?』という思いでいっぱいでした。でも、息子の話をじっくり聞いてみると、クラスでの人間関係や勉強のプレッシャーなど、私が想像もしていなかった苦しみを抱えていたことがわかったんです。息子の気持ちを理解しようとしたとき、私自身の『学校に行かせなきゃ』という焦りが少しずつ和らいでいきました
「学校」という選択肢の相対化
私たちは無意識のうちに「学校=学び」「学校=社会性を身につける場」という等式を信じています。しかし、本当にそうでしょうか?
学びの場は学校だけではありません。 社会性を身につける場も学校だけではありません。
高校2年生の娘さんが不登校を経験したCさんは、こう語ります。

娘が学校に行かなくなって半年ほど経ったとき、自分で興味のある分野の本を読み始めたんです。それまで『勉強しなさい』と言っても全く興味を示さなかったのに、自分から図書館に行くようになりました。学校に行けないことに罪悪感を感じていた私でしたが、そのとき初めて『学びは学校の中だけじゃないんだ』と気づいたんです。
親として「今」できること
子どもが不登校になったとき、親としてできることは何でしょうか。
- 子どもの状態を受け入れる
まずは現状を受け入れることから始まります。「なぜ学校に行けないのか」を責めるのではなく、「今、何に困っているのか」に焦点を当てましょう。 - 安心できる居場所を作る
家が子どもにとって安心できる場所であることが大切です。「学校に行かないこと」で責められない環境づくりを心がけましょう。 - 小さな成功体験を積み重ねる
学校に行くことだけが成功ではありません。趣味に打ち込んだり、家族との会話が増えたりといった小さな変化も大切な一歩です。 - 専門家や支援機関とつながる
一人で抱え込まず、スクールカウンセラーやフリースクール、オンラインサポート校など、外部の支援を積極的に活用しましょう。

不登校は「終わり」ではなく「始まり」
不登校は決して人生の終わりではありません。むしろ、子どもと親が本当の意味で向き合い始める「スタート地点」かもしれません。
子どもが学校に行かなくなったとき、私たち親は自分自身の価値観を問い直す機会を与えられます。「学校に行くのが当たり前」という固定観念から解放されたとき、子どもの本当の姿が見えてくるのではないでしょうか。
子どもが今、どんな状態であっても、あなたは決して一人ではありません。同じ悩みを抱える保護者の方々、そして私たちエジソン教育研究所も、あなたと一緒に歩んでいきたいと思っています。
「学校に行かせなきゃ」という呪縛から解放されるとき、新しい親子関係の扉が開かれるかもしれません。その一歩を、一緒に踏み出しませんか?
